編集委員からみなさんへ

「思い出すままに」

あまんきみこ 写真
撮影:塩澤秀樹
あまんきみこ 児童文学者

この歳になっても,小学生の時学んだ教科書作品で覚えているものがいくつかあります。「月光の曲」「扇の的」「稲むらの火」「雲のさまざま」……。

子どもの時,国語の教科書が手に入ると,わくわくして読んでしまいました。もちろん,読みにくい箇所は,とばしとばしの読み方でしょう。その中に自分の知っている世界があると,知っているゆえに嬉しくて,
「ほら,こんどの教科書に○○があるのよ」
と母につげ,知らない世界があると,知らないゆえに,
「こんなのを,ならえるのね」
とわくわくしたものでした。

一月ほど前,これらの教科書を見る機会をもちました。

なんと六十数年ぶりの再会です。作品は「月光の曲」「扇の的」「われは海の子」「御民われ」の四作品,あとは一年から六年までのタイトルを見ることができました。「月光の曲」や「稲むらの火」は内容が心に残っています。「扇の的」のような古文,詩,和歌は暗唱させられました。「雲のさまざま」は,時間と場所を決めて毎日雲を描いたことが身に残っています。低学年は昔話が多く,まるで具だくさんの弁当のようです。中学年高学年になると,戦時下体制のタイトルがいくつも並んでいます。

間違えて読んで笑われた時の恥ずかしさがなぜか甦り,いっしょに発表をした級友の,耳まで赤くなった顔が懐かしく浮かびました。

この夏,ある集まりの中で,教師の方からふいに訊かれました。
「教科書に作品が載るって,いやじゃありませんか?」

私は驚いた顔をしたと思います。否定しました。
「たくさんの子ども達に出会える嬉しさ有難さですよ」

するとその方は身を乗りだされました。
「でも,自分の作品を様々に腑分けされるのですよ」

私は少し困りながらいいました。
「腑分けするのは,私ではありませんから」

その方は,「なるほどね」と小さく呟いて,ほんの少しだけ納得されたようでした。

帰り道,一人列車にゆられながら,私は浅くしか答えられなかったことを済まなく思いだしました。なんと答えればよかったのでしょう。それにしても,子どもの時の国語の授業に喜びを多くもらえたことが,返事の中の「嬉しさ有難さ」の根元になっている――そのことをつくづく思いました。