フーンコラム66回(2009年4月号) 後関正明

第66回 「毒か薬か授業中の和訳」

 先日,久しぶりに旧知の先生方3名と私で会合を持ちました。話題は最近の教育事情をはじめ,多岐にわたりましたが,やはり英語を通して教員の道に人生を賭けている先生方だけあり,自然と英語教育についての話になっていきました。また,だんだん舌が滑らかになるにつれ,特に英語の授業内容について,それぞれが持論をぶつけあい,大いに盛り上がりました。今日はその中で話題になったうちの1つ,「和訳」と「言語活動」の関係について,各先生が述べた要旨をここに再現してみたいと思います(あくまでも勝手なおしゃべりなので,議論や討論とはほど遠いものだと思ってください)。

私 :  ひと昔前は,教師中心の訳読式授業が幅をきかせていたように思います。事実,私のまわりを見ても,そのような授業が多かったのですが,現在では言語活動に重点が置かれ,コミュニケーション能力の基礎を養うための授業に変わってきています。それはいいのですが,私に言わせると,授業のしまりがなくなっているように思えるのです。しまりがないというのは,授業が終わったときに,生徒が「今日は〜を覚えてよかった。よく分かった」という実感が持てないということなのです。極論すると,「何となく」1時間が終わるというか…。
A先生:  うーん,それは言えますね。しかし,しまりがないのはどうしてですか。実践的コミュニケーション能力の育成を重視した授業はしまりがなくなるということですか。
B先生:  そういう意味ではないと思いますけど。いわゆるしまりのない授業は,教科書の「音読」や「黙読」,また,日本語できちんと意味をとるという「和訳」の過程がないところからくると,私は推測するのですが…。後関先生,どうですか。
私 :  確かに,コミュニケーション活動に重点を置きすぎるからというのは違うと思います。コミュニケーション活動がしっかりしているのであれば,そこに重点を置いた授業は,むしろ,しまりが出ると思います。一方で,和訳の過程がありさえすれば,それでしまりが出るとも言えません。扱い方によりますが,和訳は毒にもなり,薬にもなると思っています。和訳が薬になるような扱い方をせずに,コミュニケーション活動と称して生徒がただ活発に活動すればいいと考えている先生が多いように思うのです。
A先生:  そうですね。コミュニケーション活動というと,生徒それぞれがペアになったり,時にはグループになったりして,教室中を動き回ってワイワイガヤガヤ英語で(実際には日本語とチャンポンで)活動するものだと思われているふしがあるようです。でも,それは大変な誤解ですね。
私 :

 そうですね。B先生がおっしゃるように,コミュニケーション能力の基礎を養う授業が,多分に誤解されているからだと思います。せっかく教科書本文というものがあり,本文解釈の時間をとるのですから,その内容を使った言語活動に発展させることも大事なのです。そして,そのような形での言語活動重視の授業は,まず,教科書本文の深い内容理解が必要になりますし,題材についての日本語による説明を含め,和訳をうまく使うことも必要になってくると思うのです。

 中には授業中の和訳は必要ないばかりか,和訳することが罪悪のように思っている先生もいるようです。和訳はコミュニケーション活動と相反するという発想なんですね。

C先生:

 私は,基本的には和訳は必要だと考えています。しかし,和訳といっても,ひと昔前のように「読んで訳して,訳して読んで」という授業の和訳とは違います。ですから,「教師の範読(英文)」→「一斉読み(英文)」→「個人読み(英文)」→「生徒を指名して訳させる」というような作業は一切しません。生徒に訳させると,どうしても予習として塾やガイドブックに頼りますから。あくまでも私個人の考えではありますが。私は,和訳を生徒にさせるかわりに,復習として,前時に習ったキーセンテンスを暗誦させるなどして言わせ,「それは,どういう意味だった?」と質問し,生徒に訳を求めることはよくやっています。

A先生:  私も授業で生徒にいきなり和訳をさせることはしていませんが,生徒を指名して和訳をさせる先生はいますね。そうすると,和訳をすることが授業の主流になってしまい,本文内容を使ったコミュニケーション活動をする時間がなくなると思います。すなわち,「内容を理解し,自分で考え,内容についてどう思ったか,またはどう感じたかを英語で書き,発表しあう」などの言語活動が,はるか先の話になってしまいます。英文と和訳の文字面の対応関係のみに終始しているのでは,コミュニケーション活動の基礎を養う路線から外れてしまいますね。
C先生:  授業中に生徒を指名して訳させないとしたら,英文と日本語訳の対応関係に苦心していた時間が節約できます。そこで先生が行う和訳は,題材を含めた文の説明も兼ねるでしょう。そこをうまく説明して,その後の時間をどう使うかが課題になりそうです。
B先生:

 そうですね。ところで,話が少しそれるようですが,和訳がいいとか,いけないとかいう問題以前に,授業中に日本語を使用しないという先生もいますね。1時間で扱う本文の量が過度に多くなかったり,本文のレベル,題材のレベルがそれほど難しくなかったりすれば,英語だけの授業も可能とは思うのですが。

C先生:  そうですね。しかし,日本語を一切使わない授業では,極端に言うと,得てして先生だけがしゃべり,生徒はもっぱら聞くだけという場合があります。1時間の授業のうち,先生が話している時間が30%,生徒が発話している時間が70%というのが理想的な姿だと思っているのですが,実際はその逆が多いです。ですから,そこにも問題があるわけで,先ほどの和訳に時間をかけるのをやめて,浮いた時間をどう活用するかという問題とあわせて,もっと具体的に話し合う必要がありそうです。
私 :  そのとおりです。ですから,教科書のある課を俎上に載せて,本文内容を使った活動をシミュレーションしてみるのも面白いと思います。

 このように話がはずみまして,話はまだまだ続きました。5月号では,教科書本文をもとにした言語活動について具体的に述べたいと思います。

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後関 正明 (ごせき まさあき) 先生
東京都墨田区立中学校で教諭,校長を長年務める。その後,東京都滝野川女子学園中・高校で教鞭をとる。現在,NPO法人「ILEC言語教育文化研究所」常務理事。2003年より都内の私立大学で教職課程履修の学生を教えている。

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